【連載コラム】AI時代のメンタルケア(第2回)「自分がわからない」から始まる成長

「わかってもらえない」体験と他者性の意味

武蔵野の面影を残す小金井公園の木々が季節ごとに表情を変えるように、人の心もまた、日々移ろい、揺れ動くものです。私たち訪問看護ステーションのスタッフは、三鷹や西東京、武蔵野エリアの住宅街を自転車で走り抜けながら、地域の皆様の「揺れ動く心」に日々向き合っています。

前回の第1回では、「AIは即座に答えを出し、人間の専門家は問い続ける」というメンタルケアにおける根本的な違いについてお話ししました。AIが与えてくれる「もっともらしい答え」は一時的な安心をもたらしますが、本当の心の回復のためには、すぐに答えを出さずに曖昧な状態に留まる力が重要であることをお伝えしました。

連載第2回となる今回は、さらに一歩踏み込み、私たちが対人関係や自身の心に抱きがちな「自分がわからない」という不安、そして人間同士だからこそ生じる「わかってもらえない」という体験が、実は精神的な成長においてどれほど大きな意味を持っているのかを紐解いていきます。

「自分がわからない」という状態は、決して悪いことではない

訪問看護の現場で利用者様とお話ししていると、「自分の気持ちが自分でわからない」「本当はどうしたいのか見失ってしまった」と、苦しげに語られる場面に直面します。現代社会は「自己分析」や「自分らしさ」が過剰に求められるため、自分のことがわからない状態は「良くないこと」「早く解決すべき問題」として捉えられがちです。

ここでAIメンタルケアを利用すると、AIは入力された断片的な言葉から「あなたは今、〇〇という状態です」「あなたの本当の望みは〇〇でしょう」と、綺麗に整理されたストーリーを提示してくれます。これによって「そうか、私はこういう状態だったんだ」と、わかったような気持ちになり、安心することができます。

しかし、精神分析の視点では、この「わかった」と思い込むことは、単に「不安をなくして安心したい」という自分自身の都合に過ぎないと考えられています。精神分析家・西見奈子氏が指摘するように、「人はそもそも自分のことを知らない」のが大前提であり、「自分がわからない」状態こそが、人間の自然なあり方なのです。

自分の心がわからない状態は、決して異常なことでも、恥ずべきことでもありません。むしろ、「安易な答え(AIの回答など)に飛びつかず、わからない自分自身の心と誠実に向き合い始めた」という、非常に重要で健康的なプロセスの出発点なのです。「自分がわからない、それでいい」と受け入れることこそが、深い自己探求への第一歩となります。

「要求(Demand)」と「欲求(Desire)」の決定的な違い

人間が発する言葉がどれほど複雑な背景を持っているかを知る上で、精神分析における「要求」と「欲求」の違いを理解することが非常に役立ちます。

私たちが他者(あるいはAI)に対して言葉にして伝える悩みや願いは、表層的な「要求(Demand)」に過ぎません。しかし、人間の心の奥底には、自分でも意識できていない、言葉にならない「欲求(Desire)」が隠されています。

たとえば、精神分析の創始者であるジークムント・フロイトの妻は、晩年、病を患ったフロイトの世話を献身的に行っていました。これは果たして、純粋な「自分の意思」だけで行っていたのでしょうか。 表面的には「夫を支えたい」「愛する人の世話をしたい」という要求(言葉や行動)があったとしても、無意識の層(欲求)には、「偉大な夫を支える良き妻でありたいという自己愛」「世間からの承認欲求」、あるいは「義務感から逃れられない葛藤」など、本人すら自覚していない複雑な感情が入り混じっていたかもしれません。ケアの現場には、こうした表層の「要求」と深層の「欲求」の乖離が常に存在しています。

AIは、ユーザーが入力した文字情報、つまり「要求」だけを読み取ります。「私はこうしたい」と入力されれば、「ではこうしましょう」と要求に応じた答えを返します。しかし、AIは言葉の奥底で渦巻く「言葉にできない欲求」の存在を想像し、汲み取ることができません。人間の心に寄り添うということは、言葉通りに要求を満たすことではなく、その奥にある「本当の欲求は何なのだろう?」と思いを馳せることなのです。

「わかってもらえない」という摩擦が人を成長させる

AIとの会話は、非常にスムーズで快適です。AIはこちらを否定せず、感情的にならず、いつでも共感的な言葉を返してくれます。まるで自分の心を完璧に理解してくれる「理想の存在」のように感じられるかもしれません。

一方で、人間の専門家や家族、友人との対話ではどうでしょうか。どれほど親身になって話を聞いてくれても、「そうじゃないんだけどな」「うまく伝わらないな」という「わかってもらえない」体験が必ず発生します。時には、良かれと思って言われた言葉に傷ついたり、腹が立ったりすることもあるでしょう。

実は、この「わかってもらえない」という摩擦こそが、精神的な成長において決定的に重要な役割を果たします。

AIのように「すべてをわかってくれる(ように見える)存在」との間には、自分と他者との境界線が存在しません。それはまるで、母親と一体化していた乳幼児期の「万能感」に浸っている状態に似ています。しかし、現実社会を生きていくためには、どこかでこの万能感を手放さなければなりません。

「この人は自分とは違う人間なのだ」「自分の思い通りには動いてくれない他者なのだ」という壁(他者性)にぶつかること。そして、「わかってもらえなかった。じゃあ自分は本当は何を伝えたかったのだろう?」と、他者とのズレを埋めるために自分自身の内面を必死に探ること。この泥臭く、痛みを伴うプロセスを通じて初めて、人は自分自身の輪郭(アイデンティティ)を明確にし、精神的な成長を遂げることができるのです。

地域社会で育む「対話の力」

私たち訪問看護ステーションは、井の頭公園や玉川上水沿いなど、緑豊かで穏やかな時間が流れる西東京・三鷹・武蔵野エリアを拠点としています。武蔵野市や三鷹市は、昭和40年代から全国に先駆けて「コミュニティ構想(コミュニティセンターの設置や住民参加のまちづくり)」を推進してきた歴史的な地域です。

 この地域特有の、人と人との距離感がほどよく保たれた温かいコミュニティの中で、私たちは「生の人間同士の対話」を大切にしています。

訪問看護の時間は、時に無言の時間が流れたり、うまく言葉が紡げなかったり、支援者と利用者様の間で小さなすれ違いが起きたりすることもあります。しかし私たちは、その「わかってもらえない摩擦」や「もどかしさ」を避けず、共にその場に留まり支援してまいります。

AIが与える一時的な万能感や安心感ではなく、人間同士の泥臭い対話の中で生じるズレを共に乗り越えていくこと。それこそが、孤立を防ぎ、地域の中で自分らしく生きていくための「本物の心のケア」であると考えます。

次回、第3回では、AIへの過度な依存が引き起こす問題について深く掘り下げます。人との交流が減ることで自分自身の「思い込み(認知バイアス)」に気づけなくなり、孤独やリスクを深めてしまうメカニズムについて、公認心理師試験の観点なども交えながら解説していきます。


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すけさん訪問看護ステーションでは、地域に密着した訪問看護を提供しています。お一人で悩まず、まずは地元の専門スタッフにご相談ください。


【参考・引用文献およびURL】

【人は自分のことを知らない】AIは答える、精神分析は問い続ける/なぜ本当の悩みに気づけないのか/「わかってもらえない」が人を成長させる理由/精神分析家・西見奈子【ACADEMIA】

【「自分がわからない」それでいい】妻はフロイトの世話を「自分の意思」でやったのか/ケアにみる“要求”と“欲求”/「わかった」と思い込むのは安心したい自分の都合/精神分析家・西見奈子【ACADEMIA】


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